股腹・江戸和装小物専門店~江戸の粋を彩る職人技 上田屋
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上田屋会社概要とメディア紹介

会社概要

  会社概要
会社名 上田屋
所在地 〒942-0051 新潟県上越市下源入551番地2号
連絡先 025(544)7722
オーナー兼営業担当 上田都美子
店長兼受注発注担当 田中美佳
縫製主任 小高縫製  小高妙子

2021年5月~コロナ禍の上田屋

オーナー兼営業担当~上田都美子

コロナが始まってから1年数か月になります。私も含めてですが、まさかここまで長引くとは…
いつ終わるかわからない混とんとした日本、そしてこのくらい「ままいいじゃない」「がまんってどのくらい」という世の中の流れの中、私たちも今後どうしていこうかと…

オーナーとしては、残念きわりまないというか…
このままコロナがなかったら、計画通りだったら(笑)と…

そして、営業担当としては、今後10年の営業のプランが崩れ去ってしまいここ数か月は、今後どのようなプランを立てていくか思案しています。一応5月末には、今後のプランが立ち上がる予定です。また、ご報告します。
その一環として、ホームページのリニューアルを行っています。

2020年を迎えるにあたって(開業10年)

オーナー兼営業担当~上田都美子

上越で上田屋を開業して来年で10年になります。
10年前、相棒の田中さんと出会って私の両親が営んでいた上田屋の後を継いでから来年で10年になります。10年前を振り返ると、形もなく、知識もなく、ただ家業の後を繋ぎたいという思いだけで起業して、今考えると無謀としか言いようがなかったと思います。そして、あの時若かったと(笑)
今年、10年近く患っていた母が他界し秋から冬にかけて少しお休みをさせていただく中で、大きく上田屋も前進することとなりました。
一緒に作業をしてくれているメンバーも私と同年代の為、無理のできない年になんて来たので上越の店舗を閉鎖して、作業環境の質を上げることになりました。
近年、上越は冬に雪が少なくなりましたがやはり雪のシーズンの2~3か月間の除雪も大変で、新しい事務所は、一軒家でカーポート付きのため(笑)除雪の心配がほぼなくなりました。
最近は、グーグルマップなどで検索すると家の外観まで見えてしまう便利な世の中というか、嫌な世の中というか、御興味のある方は…
今後ですが、住宅街に事務所を借りたため、股腹などの販売は原則的に上越では行わないこととなります。皆様には、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。また、上越での股腹等の販売をご希望のお客様につきましては、ご連絡いただければ個別にご相談させていただきます。今後とも上田屋をよろしくお願いします。

2020年に向けて、新商品を販売等致します。
2019年に大変ご好評いただきました、トロピカルの新色(トロピカルレインボー)を6色販売予定です。ご期待ください。

最後になりますが、東京上田屋の2020年は、毎月第二土曜日と日曜日に開店予定です。
皆様のご来店をお待ちしております。

みんなの一言

オーナー兼営業担当~上田都美子

下北沢出店に向けて 2015年6月
いよいよ、あと数週間で下北沢出店の日を迎えます。 上田屋は、以前は、東京の練馬で店を構えておりましたが、先代の店主が亡くなったのを機に2010年に新潟県上越市にIターンし何もないところから開業させていただいてから6年目を迎えます。
先代からのお客様、都内や関東近郊、静岡県の呉服店様・お祭用品店様、卸売り店様、そして上越で一緒に上田屋を盛り立てて下さっている仲間に支えられて東京の大きな町で短期的ですがお店を構えるまでになりました。
あと、2週間弱になりますが、たくさんの誂え股腹の採寸のご予約をいただきありがとうございます。当日のご来店をお待ちしております。
また今回の目玉は、何といってもストレッチの股腹です。祭場でとてもはやっているそうで、
ぜひ、袖と足を通して履き心地をお確かめください。
一度、ウールの股腹をご注文いただいたお客様には誂えた股腹の型でストレッチの股腹を既製品の価格でご提供させていただいております。

もう一つの目玉は、縫製主任をしております小高がいよいよ自社ブランドを立ち上げることになりました。越後上田屋だそうです。
私は、みんなに未来を創ってそこに向かって歩いていくように普段から話させいただいております。小高の未来は、上越に縫製工場を作るだそうです。
その第一歩が、下北沢出店になると思います。ぜひ、越後上田屋も今後ともよろしくお願いします。

今回の下北沢出店では、私たちが越後の地で作り続けてきた古き良き江戸の伝統文化である粋の良さをぜひ、ご覧いただいて、感じていただけましたら幸いです。

店長兼受注発注担当~田中美佳

「ご縁の大切さ」
上田屋を初めて6年目になります。
上田屋をなぜ?なぜ上田都美子さんと一緒にやり始めたのか、今振り返ると「ご縁」という言葉でしか表せないのです。たくさんの偶然のようなご縁が重なりそれが、大切なご縁となり今まで上田屋を続けることができたのだと思います。
開業当初は、都美子さんと色々な所にリサーチに出かけ、色々なものも作りました。時には意見がぶつかりけんかもしました。色々と挑戦し行動しては失敗し、うまくいったと思ったらまた失敗の繰り返しでした。振り返ってみると始めは、本当に無鉄砲に行動していましたが、6年目を迎えた今では本当に必要かを考えながら行動できるようになりました。行動してもいつも成果が出るとは限りませんが、行動してみなければなにも始まらないと思います。時には大きなトラブルに巻き込まれることもありましが、回りの方の協力をいただき乗り越えて今があります。
今までは二人で上田屋をやってきてここまできましたが、最近は仲間が増え今までよりもさらに大きな未来につながり、目に見える成果も大きくなっています。 開業当初から変わらないことは自分は自分らしく…関わってくださる人の全てが無理せず自分らしく仕事をしていただけるそんな場所を提供できたらと考えております。
最後に大きなご縁でこの仕事をさせていただいておりますが、そのご縁を忘れずにそして自分らしく江戸の伝統文化の継承の思いを胸に上田屋をこの上越で後世に伝えていきたいと思っております。

縫製主任~小高妙子

経験を重ねて紡ぐ未来
私は昔から何をやってもそこそこはできて、周りの人からは羨ましがられていましたが、自分自身では何をやっても中途半端で終わっていて、できない自分が嫌でそれをうまく隠して誤魔化しながら上手に生きてきました。
そんな時に昔の仕事仲間だった田中さんと再会して人生が大きく変わっていきました。
彼女と彼女の仲間との出会い、何のためかわからないまま苦手なパソコンをやらされたり、嫌いで面倒くさい事をやらされたりしました。
これが「何の役に立つのか?」といつも疑問でしたが辞めずに続けていたのは、今までの沢山の経験の中から「自分のためにならない事は1つもない」という思いからやり続けました。
その他にもまだまだ沢山の事をするなかで、私が満足して「もう必要ないのでは?」という 答えを自分で出すまでとことん付き合ってもらいました。それらのたくたんの経験の中から物を作る事、縫うことが自分の一番求めているものだと気付きました。
いつも途中で投げ出してしまう私が縫う事を続けています。今までの人生の中で縫製の仕事は一番の経験です。難しい課題もたくさん言われ、それでも縫う事を続けてきた結果、今までにはない大きな成果が表れました。
自分の縫った品物を自分で売る事ができるようになったのです。上田屋の新しいブランド「越後上田屋」として起業することができるのです。
今までのたくさんの経験を生かして縫って売って全国の方々に「越後上田屋」の商品をお届けしたいと思います。

メディア紹介

上田屋が行く!!

↑↑新潟日報に取り上げていただきました。↑↑

上田屋が行く!!

↑↑新潟の情報誌に載せていただきました。↑↑

上田屋が行く!!

↑↑就職情報誌あどばに載せていただきました。↑↑

開店して6年で、数回メディアでご紹介していただきありがとうございます。
あどばの「これが私の生きる道」なんだか(笑)私の人生そのもののような気がします。
これからも、父が残してくれたものを上越のみんなで日本全国に広めていけたらと思います。
ご紹介ありがとうございます。(都)2015年5月

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